梶賀町

文化Culture

延命山地蔵寺

曽根浦安定寺末村中にあり、元禄五年開基、享保十三年再建、文化四年再々建、天保十三年大修理と伝わります。 本尊は高さ八寸八分の石仏で、線香の煙で燻され真っ黒になっています。
(尾鷲市指定文化財)

豊川稲荷神社

御祭神は稲倉魂命。地蔵寺の境内にあり、豊川稲荷と勧請して地蔵寺庭に安置されています。 「豊川稲荷叱尼真天」と染め抜かれた幟が立ち、神仏習合の表れとされています。

梶賀神社

梶賀浦の氏神さま。久立神社(祭神不詳)と呼ばれていましたが、明治42年6月22日に稲荷神社を合祀して梶賀神社と改称されました。

稲荷さん

御祭神は稲倉魂命。地蔵寺の境内にあり、豊川稲荷と勧請して地蔵寺庭に安置されています。 「豊川稲荷叱尼真天」と染め抜かれた幟が立ち、神仏習合の表れとされています。

五輪塔(五輪さん)

向井と呼ばれる地区の畑の片隅に、五輪塔が一基立っています。昔からこのお墓に触れると祟りがあり、オコリを振るうといって人々は恐れていました。 「慶安元年 一良宋栄 子 七月二十八日」と刻まれています。

庚申講

60日目に回ってくる「かのえのさる」の日には、かつて庚申講という講社が僧を招き読経をして通夜をしました。

若宮さん

梶賀神社に合祀されましたが、今は鳥居も祠もが残っていません。

イボ地蔵

イボができると、地蔵からよだれかけを借りてきて、イボの場所をこすり、お礼に新しいよだれかけをかわりに掛けます。

梶賀の御影石

紀州家七代藩主徳川宗将候の菩提寺・長保寺では、墓石として梶賀の御影石が用いられています。 若山(和歌山市)の南、浜中村へ海路をで石を運んだ記録があります。

咳の神さま

元「庄八屋」の上にあり、祀られているのは不明ですが、かつては月の始めと28日には参拝していました。 また、咳が出ると針などで作った小さい鳥居を供えていました。

梶賀小学校(廃校)

入り江の西側、見晴らしの良い高台に建つ梶賀小学校は、1998年に閉校を迎えました。
同校は1878年に開校した、木造平屋建ての小学校です。 当時の町の子供達は長い石段を登り毎日元気に登校していました。
丘の上にある校庭跡は、津波災害時の避難場所に指定されています。

名所Sightseeing Spot

梶賀漁港

五輪塔から見た梶賀漁港

梶賀峠

山中のかつての浦人たちの生活道が、半世紀を経て、地元有志により掘り起こされました。 隣町・曽根町の登り口から峠まで歩くと、内海である賀田湾の眺望が満喫でき、 梶賀町からは眼下に梶賀の港を見下ろせ、太平洋の海原が望めます。

小梶賀

梶賀漁港から少し北東に遊歩道を歩くと、海水浴が楽しめる砂浜のビーチ「小梶賀」があります。 猫の額ほどの小さな砂浜ですが、鯨石と呼ばれる巨岩があり、以前はここで鯨捕りが行われていたことを伝えています。 小梶賀は石工たちが暮らした集落で、山の斜面には岩肌がむき出しになっています。

漁港の山裾に、桜並木が植わっています。山の緑と紺碧の海を背景に可憐な花を咲かせ、 潮風に吹かれてのお花見が楽しめます。榎本隆文氏がボランティアで一人で桜等を植えました

3月中旬

4月上旬

水仙

美しい花の姿と芳香がまるで「仙人」のようなところから命名された水仙は、 元梶賀小学校の校庭のほか、家々の庭先で咲き誇ります。

1月

4月

柱状節理

外海にでると柱状節理の景観に感動します。

(説明文は、梶賀まちおこし会作成のパンフレットより転載)