梶賀町

大敷網

鰤大敷定置網
歴 史 梶賀浦の有志で結成した漁業組合は、明治36年から2年間鰤大敷を経営したが、事情により休業。
大正6年に定置漁業権免許を梶賀浦漁業組合への譲渡を受け、漁場変更申請し許可を得た。 同年、広島県御調郡吉和村二畑顕次氏他一名と漁場の貸借契約を締結し、同氏が2年間経営した。
大正7年に漁場を変更して経営したが不調のため、わずか1年で休業。 その後、夏敷網・秋敷網と種々変更して経営したが不調に終わり、休業した。
昭和3年高知県安芸郡佐喜浜村清岡驛太郎氏他一名に漁場の賃貸契約を結んだが、 翌年から中村市右衛門氏ら有志により梶賀浦鰤大敷組合を設けて経営することになった。 その間漁具の改善、漁場の開拓などを重ねたが、当漁場は落網に適することを認め、昭和4年に免許を出願して認可された。
昭和13年契約解除とともに漁業権を貸すことをやめ、組合自身で鰤大敷を経営することになった。
鰤大敷 鰤大敷は、久しく梶賀浦の生活を支えてきた。それだけに漁獲の多寡が浦人たちを喜ばせたり、悲しませたりした。 豊漁の続く年は、それだけで十分に生活がなり立ち、漁の無い年は、浦人たちの生活を苦しいものとした。 鰤は回遊魚であり、毎年同じようにとれるものではないので、その思いが余計強いのである。

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